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山形地方裁判所 昭和43年(タ)14号 判決

原告 三井友之

右訴訟代理人弁護士 設楽作巳

被告 三井洋子

右訴訟代理人弁護士 古沢茂堂

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告間の長男一郎の親権者を被告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

第一、婚姻と子の出生

≪証拠省略≫によると、原告と被告は昭和二六年一月九日婚姻し、その間に同年一〇月一六日長男一郎が出生したことが認められ、これに反する証拠はない。

第二、離婚原因の有無

一、事実関係

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の如き事実が認められる。

1、被告は、訴外三井孝介(以下単に孝介と略称する)、同訴外三井イネ(以下単にイネと略称する)の長女であり、右訴外人らの間に、男の子供は出生していない。

2 被告は、旧制○○高等女学校卒業後、○○第二高等女学校(現在、○高等学校)専修科一年半終了し、家事手伝いをしていた。

3 原告は、旧制○○大学専門部政治経済学科を卒業後、東京に居住し、株式会社○○ゴム製造所に、事務職員として勤務していた。

4 原告と被告は昭和二五年春、原告の叔父の妻である訴外木山まつを介し、見合をした上、同年一一月一六日結婚式を挙げ、以後東京において同居を始め、原告は右3の会社勤務を継続したが、被告の病気と右会社における人員整理等を契機として同年七月右会社を辞め、その頃東京での生活をたたみ、被告の肩書住居において、右1の被告の両親と同居するところとなった。

5 右1の如く、被告が女子姉妹の長女である関係から、原告は所謂、被告の許に婿入りしたもので、その婚姻後妻たる被告の氏を称したが、原告と被告の父母たる孝介及びイネとの間において養子縁組が結ばれていないため原告は同訴外人らの所謂推定相続人たる地位にない。

6 原告は昭和二六年一二月二日から、○○県立○○工業高等学校定時制の教諭に就任し、社会科を担当している。

7 原告ら夫婦及び被告の両親とが同居後それらは全部同一の世帯に属し、家計等、その経済関係は、イネが掌握している。

8 イネはかねて健康体でなく、かつ、被告も腎盂炎(右4の病気とは、これを指す)をわずらったことと、長男一郎を懐妊していたため、右4の被告肩書住所での、同居以後、右7の世帯における平素の家事労働の多くは原告が担当するところとなったが、イネ及び孝介は原告は所謂婿であるから、身を粉にして働くべきであるとの態度を示し、原告の家庭労働に対し、正当な評価等、その理解を示した、原告へのねぎらいの態度がない。

9 長男一郎の出生祝の行事がその生後間もなく、被告の肩書住居で施行されたが、原告はその開催日、内容等一切につき、事前の相談を受けず、それは孝介、イネの専行にかかり、従って原告は右祝事の場所にも参列しておらず、長男一郎の命名も孝介の独断により原告はそれに関与する機会も与えられなかった。

10 原告は、その親しい同窓五・六名と、その各家庭持回りによる同窓会を自宅において開催しようとして、その旨イネに承諾を求めたところ、同人からこれを拒否されたことがある。

11 孝介、イネは、時折、長男一郎に対し、原告の面前において、高等学校生徒時代勉強を怠った場合は右3の如き原告出身校である○○大学、若しくはそれと同程度の大学にしか入学できない旨申し述べる等して、暗に原告の学歴を蔑視する如き言辞を弄した。

12 孝介は、原告と同様イネの入婿であるが、同人には、イネの祖先伝来の所有不動産が多く、所謂有資産家であるのに比し、原告の生家がさしたる資産家でなかったところから、孝介、イネは平素、右両家の価値を秤量し、これに基づき、全般的に原告若くはその身内の者を軽視する態度を強く示し、その派生として、殊に原告に対し長男一郎等の面前において、原告は行李一つで被告の許に婿入した旨申し述べることがあった。

13 家庭内において金品等が紛失した場合、孝介、イネはことの真相を究明することなく、徒らに、同金品は原告の手により持去られたものであるとの疑念の下に、その旨を他に口外をした。

14 孝介、イネが他に旅行し、国鉄山形駅に帰着した際、同人らは、その所携の荷物を、同駅に出迎えた原告に手交した上、タクシーに乗車して先に帰宅し、原告は、右荷物を積載した自転車に乗り帰宅することがあった。

15 孝介、イネ及び被告は、その自宅の訪問客に対し、それに提供した飲食物の残品は、婿である原告に飲食させる旨口外したことがある。

16 原告は、自己が平素担当する右8の如き家事労働及び孝介、イネの原告に対する態度につき、当初の間はそれ自体、格別の苦痛或いは不満感を抱かなかったが、時を経るに従い、孝介、イネの、原告に家事を担当させた動機及び右9ないし15の態度はいずれも、すべて原告を無資産家から有資産家に、行李一つで婿入した者としてこれを睥睨する観念に依拠しているものと思料したが、あえてこれを忍従し、家事労働等に精励したところ、孝介、イネにおいて、長年月にわたり原告の態度とその労働の成果につき、正当な評価を与える等なんらの理解を示すところがないとして寂漠感を強くし、これが昂ずるに従い、次第に孝介、イネに対する信頼感を喪失し、同時に孝介、イネの右の如き平素の言動はいずれも原告を侮蔑軽視し、原告が被告の夫たる地位をも無視するものであるとして、昭和三五年頃から、孝介、イネ等との共同生活を維持することは不可能であり、従ってそれより逃避しようとの観念を醸成した。

17 被告は家庭内にあっては、全般的にその父母である孝介、イネに密着、隷属し、それに絶対服従的であって、原告の妻としての自主性を欠き、右両親から一個の独立した人格を有する者と容認されていない如き状態にあり原告に醸成された右16の如き観念を自ら認識し得ないのみか、原告から、孝介、イネ等の原告に対する右8ないし15の如き言動と、右16の如き原告の抱いた観念を告知されても、これにつき、さしたる反応を示さず、その間に立って、その調整を試みる態度がなく、むしろ、なかば、両親の側に組するか、若くは傍観者的態度に終始した。

18 右17の如き被告に存する実状から、原告は、被告には原告の感情、立場を理解するに足る能力がなく、従って原告の妻としての資質を欠くものであるとの認識を抱きその結果、次第に疎外感、孤独感、寂漠感を強くし、果ては被告との婚姻継続の意思をも沮喪し、右感情を糊塗する手段として、昭和三五年頃から、麻雀、パチンコ遊ぎに耽るところとなり、ついに同年九月被告の許を出奔するに至ったが、この時は周囲の者のすすめと、孝介、イネ及び被告の態度に変容の生ずるのを期待して、翻意し、約一週間後に帰宅した。

19 右18の、原告の帰宅後、孝介、イネ及び被告には、右8ないし17の如き原告に対する態度につき、原告が期待した、顕著な変容が存しないため、原告は昭和三七年頃に至ると、孝介、イネとの同居はもとより、被告との婚姻を継続する意思を全く喪失し、以後終生被告の許に帰参しない意思をもって、同年六月、被告の許を去り以後知人宅に寄留したり、下宿住いをした後、肩書住所にその所有の居宅を建築し、これに居住して被告と別居し、現に被告との婚姻を継続する意思が全くない。

20 原告は、温和、内向性、被告も温和であるが自主性に乏しい傾向を各有し、孝介は頑固、保守的傾向が顕著であると評されている。

(二)  ≪証拠判断省略≫

二、判断

(一)  右(一)認定の孝介、イネの自己の娘婿たる原告に対する平素の言動、評価は極めて当を得ないものであり、これが原因となり、原告をして抱かしめた原告の右訴外人らとの同居からの逃避観念、及び被告の配偶者たることを断念するの余儀なきに至らしめた結果による、原告の被告の許からの出奔行動は若干軽挙の謗りを免れない点もあるが社会観念上やむを得ないものとして容認でき、更に孝介、イネと原告間に存した軋轢(主として孝介、イネの原告に対する言動と、これにつき原告の抱いた観念)に対しての被告の認識の程度、その態度は、妻として、常規に欠け、かつ為すべき、通常の責務を履践していないものと言わざるを得ず、これらが原因となり醸成された原告の被告との婚姻継続意思の喪失は、社会通念上、真にやむを得ないもので、これに非難の鋒をさし向けることは酷であるものと認めるのが相当である。

(二)  右(一)の原告に存した婚姻不継続意思の下における、既に八年間にわたる、夫婦関係の実質を伴わない、原告と被告の別居生活は、夫婦としての断絶が深刻であり、これを旧に復せしむることは極めて至難のものであると言うべきである。

(三)  以上の点を総合すると、原告と被告の婚姻関係は、少なくとも昭和三七年以降(別居時)、破綻に瀕しており、従って婚姻を継続し難い、重大な事由が存するものと認定するのが相当であり、従って原告と被告間には離婚原因がある。

(四)  付言する。

1、原告本人訊問の結果によると、原告は、訴外木下勝元の妻であった訴外古葉正枝(木下勝元と昭和四四年七月一〇日協議離婚)と、昭和四一年秋頃から肉体関係が生じ、昭和四四年夏頃から原告の肩書住所で同居し、所謂内縁関係にあることが認められる。

2、夫婦間に離婚原因が存する場合、法律上、離婚が成立しない間、夫婦の一方が夫婦以外の者との情交関係を結ぶことは、夫婦の所謂守操義務に背反するものであることは言を俟たないところ、右1の事実の存在により原告は所謂有責配偶者(不貞行為があり、他に女性の存することが、被告との婚姻意思喪失の原因を形成した者として)に該当し、その結果原告はその他の離婚原因(被告に存する)を理由として被告に対し離婚請求をすることは許さるべきではない、とされる余地がある。

3、本件につきこれをみるに、右1の関係は、右(三)認定の如く、少なくとも、昭和三七年六月頃、確定的に生成した、原告と被告間の離婚原因に基づき派生した、その別居から四年経過後生起したものであることから考究すると、原告と被告との婚姻関係は、右1の関係発生以前、既に破綻に瀕し、その旧復は不可能の状態(原告の意思をも含めて)に陥っていたから、右1の関係の存否は、右婚姻関係につき、実質上、なんらの消長を及ぼしていないものと認めるのが相当である。

4、右3の認定によると、右1の関係は、形式的に観察すると、一応右2の守操義務に反しているが、実質的に考察すると、原告と被告間の夫婦関係破綻の原因を形成せず、その要素となっているものとは言い難いから、原告は所謂有責配偶者たる地位になく、従って右1の事実の存在は、右(三)の判断を左右するものではない。

三、右の認定によると、原告と被告は離婚するのが相当である。

第三、親権者について

一、≪証拠省略≫を総合すると、原告と被告間の長男一郎は、現在大学農獣医学部農薬工学科一年在学中で、思慮分別に富んでいるところ、現に原告と被告間の本件訴訟等、夫婦関係の軋轢を認識し、その離婚もやむなきものと思料し、離婚後は、母である被告の氏にとどまり、被告の監護を受ける旨の意思を表明していること、右一郎の学資等はすべて被告と同居し、被告とその世帯を共にする祖父孝介の出捐にかかり、同人において以後これを継続する意思であること、右孝介は右第二、一、(一)12の如く多くの資産を有し、生活は裕福であり同人及び被告は、いずれも一郎を、被告家の相続人として被告の許にとどめ監護する意思であること、原告は、被告と離婚後は、右第二、二、(四)の、古葉正枝と婚姻する意思であること等の事実が認められ、これに反する証拠はない。

二、右一、認定の事実によると、右一郎の親権者は、被告と定めるのが相当であると認める。

第四、結語

一、以上の判断により、原告の原告と被告とを離婚する旨の請求を認容し、長男一郎の親権者を被告と定める。

二、よって民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(判事 伊藤俊光)

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